はしづめ明子 日本共産党逗子市議会議員
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ずし平和デー参加企画 第5回講演会「終戦前後の逗子の子どもたち」

8月28日、ずし平和デー参加企画「第5回講演会 終戦前後の逗子の子どもたち-男の先生が一人もいななった小坪小学校」が行われ、講演会は、市民団体の「ちょっと昔の逗子のお話の会」が主催し、今回で5回目を迎えています。講師の野村昇司さん(元逗子市教育長)から、本土防衛で各地に洞窟砲台や高射砲台なとが建設され、その一つが小坪の高台に設置されていたこと、小坪の子どもたちが慕う男性先生が出征、広島で亡くなったこと、終戦後に砲台が米軍によって閉鎖(立ち入り禁止)していたところで、子どもたちが遊び、砲台内の爆薬に引火、爆発事故で14人の命が失われ、23人が火傷ほおった事件は、長い間、公にされることがなかったことなど、お話しと本の朗読が行われ、参加された方も最後まで静かに話に聴き入り、逗子で起きた悲劇的な出来事も知り、改めて平和を考える場となっていました。

 祖母の話では、披露山の砲台から撃った砲弾の欠片が、実家の屋根を破って落ちてきた話しは聞いていました。また、母は16歳で県立厚木女学校を辞め、軍属として南洋諸島のトラック島に一年ぐらい働いていた話しをしていました。まさに軍国主義教育が生んだ軍国少女でした。今日のお話の中でも、終戦の15日、各地では米軍の空襲があったり、日本の戦闘機から戦争継続のビラが配布されたり、簡単に戦争が終結に至ったわけでない事実を改めて知る機会になりました。(岩室 記)